私という道
外向きの自分の眼球を、ぐるんと内に向けてみるところから、30歳以降の制作が始まった。
遠近法を駆使して外界の風景を切り取る絵画は、少なくとも、ダ・ヴィンチを祖とする、自然科学の落ち着いた目を必要とする。幼かった高校生のある夜のこと、ベッドの上で天文学レベルの視座で、この宇宙を俯瞰したような気分になり、存在そのもののあやふやさが決定的!であることが、胸にすーっと入り込むととつぜん、私は、火のついたフライパンの上の猫のように焦り狂い、両手両足がばらばらに空をつかむようなもだえ苦しむ踊りをし、その想念を無かったことにした。にもかかわらず、自分が好むと好まざるとにかかわらず、その感覚はその後も突然襲いかかって来て、その度に心臓がぎゅっと握りしめられ、私の体をバラバラにした。
そういった死=無の想念を、どうしたら克服できるか、と問いかけてみれば、自分が一番、「生」を味わうことのできる瞬間を生活の中にちりばめること、と全く単純に考えて、幼児の頃から夢中になって絵を描いた記憶をたぐりよせて画家を目指すことになったのだから、もともと私にとって、冷静、というのは絵を描く価値観の中に無かったのだ。
ともすれば、いまでも暗い底から、「無」が覗くのだから、それに敢然とさからう私の絵は「躁」そのものと言える。
さて、「躁」を絵に描こうとする人間に、自然科学者のような冷徹な目が望めようか。火の付いたフライパンの上で、「生」に耽溺し、酔った状況で、体の各部がばらばらとなって踊り狂う、それを、ウ゛ァ二ティー・フェアーとよんでいるが、そんな男に遠近法はなかなか微笑んでくれず、というより、そのキチンさを、破壊してしまったとしてもしょうがないじゃないか。描けないというより、描いたとしても、私の癇癪がその世界を破壊してしまうのだ。
ということで、風景画家が、ぬかりなくフィールドワークをするように、私は私の辿った道を思い起こしてみる。「死」=「無」を一瞬でも忘れさせてくれる最上の躁状態。めまいのするほど、生の香りにつつまれる瞬間。そのさなかに、刺し殺されても、気がつかないような強烈。
中風明世 nakakaze akiyo
1960 岐阜県生まれ
1982 武蔵野美術大学卒業
1995 岐阜県現代美術家協会(岐阜県立美術館)
1996 モダンアート展(東京都美術館)〜2003まで
1997 モダンアート展新人賞受賞
1997 モダンアート 明日への展望展 〜2003まで
俊英作家賞受賞(横浜市民ギャラリー)
1998 モダンアート展 会友推挙(東京都美術館)
1998 岐阜現代の美術展(岐阜県立美術館)
1999 岐阜県展 委嘱作家推挙
2000 中風明世展(画廊光芳堂、 ギャラリーなうふ同時開催)
2000 岐阜市文化奨励賞受賞
2001 モダンアート展、奨励賞受賞(東京都美術館)
2002 モダンアート展、会友佳作賞(東京都美術館)
文化庁主催 現代美術選抜展
2003 モダンアート展、会友佳作賞(東京都美術館)
モダンアート協会会員
2003 中風明世展(アートスペース羅針盤)
2005 中風明世展(アートスペース羅針盤)
2006 中風明世展(アートスペース羅針盤,北ビワコホテルグラツィエ、ギャラリー)
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